第一章

アンナ先生の家

インターネットを検索し、町の中心(チェントロ)に貸しアパートを見つけることが出来た。

朝食は付いていないが代わりに自炊設備があり、ベッドはセミダブルでバスルームも十分な広さだ。長い滞在には月極め料金が設定されていて、料金もリーズナブルである。

貸しアパートはスーパーなどの買い物にも便利、夕刻の湖畔のそぞろ歩きにももってこいのロケーションだ。

こうして私の夏のレッスンが始まった。

湖の見える素敵な部屋でレッスンを受ける。大抵は先生がピアノで音を取ったり、伴奏もしてくれる。開いた窓からは湖が運んでくる爽やかな風が私たちの頬を撫でる。

私が籍を置いているミラノのヴェルディ音楽学院(コンセルヴァトーレ)では音声学の先生に発声法を学んでいるが、私が日本でやってきたのは本当のベルカント唱法ではない、もっと肺を開かなければだめだと散々に注意されていた。

でも鏡を見ても肺が開いているかどうかが見えるわけではない。呼吸法に問題があるらしいのだが、いつも基礎練習ばかりでは少々ウンザリさせられる。

その点アンナ先生は思うままに歌うことを許してくれるので好きだった。でも厳しさでは変わらない。私の声は高音がよく響くのがいいところだと言ってくれる。それはソプラノの命だ。

ただし日本人は例外なく子音、中でもRの音が弱い、と言う。そして巻き舌で"RRRRRR"と練習してご覧、と言う。

問題は技術的なものだけではない。私が『椿姫』のアリア、『ああ、そはかの人か』を歌った時のことだ。私の歌には表情がないと言われた。気持ちが籠っていないというのだ。