結婚は、親も生まれた環境も違うもの同士が夫婦となった形である。さらに言えば、性格も価値観までも違う。しかし違う者同士でも何かしらの言葉に尽くせない二人だけに与えられた運命の下に結婚できたのではないのか。
このように考えているが、結婚しても性格の不一致で離婚という話もよく聞く、時代は変わってもどこにでもある残念な話である。しかし、喧嘩はしてもお互いに還暦を過ぎて歳を重ねると、変な表現のしようもない縁を感じる時がある。
この不思議な縁は結婚したことで出来上がったもので、長い間一緒にいる中で築き上げられたものである。今更ながらとなるが、人生において結婚とは、とても大きな出来事であり、二人の人生を大きく揺るがす出来事であったように考えている。
このように考えだしたのは、自分のルーツを探ることでもあったが、家系図を作るために田舎の役場で除籍簿を取り、パソコンで手作りした時に、その不思議な縁を強く感じ、まさに衝撃が走った。
その除籍簿は、時代の制度的問題で文書として、自身を含め五世代までしか存在しないため確認できなかった。そのために実家の菩提寺まで問い合わせてみたが、そこでも歴史が浅く、手掛かりがなく潰えてしまった。
しかし、それでも完成した一面に表された先祖様方の代々の名前に、遥かなる悠久の歴史に思いが馳せられ、皆様方に出会えて良かったと満足感でいっぱいになった。また、この血縁が一つでも切れたら自分の存在もない不思議なえにしを感じざるを得なかった。
この系図から考えさせられたことがもう一つあって、それは今生きている人たちは歴史的に見ても、男女の結婚によってそれぞれが産まれてきているわけで、その結婚にも不思議な見えない力が働き結ばれた結果ということである。
現在では、あまりにも離婚を軽々しく考えている傾向が非常に強い社会的印象を受けている。たまには、なぜ自分たちは結婚できたのだろうかと、出会いを振り返ることも必要ではないかと思う。
結論として言えることは、二人して子供を育てるということは自分たちの夢を育てることであり、究極は子供を育てているつもりが、実は親として人として、子供たちに育てられていることが結婚でもあると。
作家の平塚らいてう女史が「元始、女性は太陽であった」と『青鞜』の一節で言っている。六十路過ぎて遅いのであるが、妻の偉大さがようやく分かってきた愚亭主である。お互いに老けゆく身でありながらも、妻にこれからも家族の太陽であり続けてもらいたいと、切にお願いするところである。
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