最後に愛嬌たっぷりの狂言役者が出て来て最初の演目、『翁』が始まった。「とうとうたらり」という意味不明の台詞が古風で、儀式的ではあるが、各世代の代表役者が次々踊るので、公演の始まりに相応しい。能はミュージカルやオペラの様に、音楽と踊りと芝居で物語が進行する演劇である。
能はテーマにより「神、男、女、雑、鬼」の五種に分類され、その順番で五番演じられるのが現代でも通例であるが、『翁』だけは特別に神聖視されており、最初に演じられる習わしである。二曲目はお定まりの、神社を寿ぐ祝言的な寸劇。平和を称える最後の歌詞が、暫く戦乱の無い時代の気分にぴったりだった。
とても治まる国ならば、とても治まる国ならば、なかなかなれや、
君は舟、臣は水
義満は、君とは天皇では無く自分の事を指しているのだと思って聞いた。
「将軍は人々の水に浮かぶ舟、人々を怒らせてひっくり返されぬ様に、という訳か、なかなか深いな」
三曲目は本格的なドラマ、『嵯峨の女物狂い』。子供に生き別れた母が悲しみのあまりに狂乱して踊っていると我が子に巡り合う、という単純な物語だが、大男の観阿弥が半狂乱の弱々しい母に成り切って演じる所が見ものである。世阿弥も子供としてクライマックスに登場、可憐な踊りと澄んだ美声で観客を沸かせた。
声変わりする前にしか出せない天から降りて来る様な声は、人々の心を強く捉える力を持っている。丁度変声期に差しかかっていた義満も陶然と聞き入った。
四曲目はお待ち兼ねの人気曲『自然居士(じねんこじ)』。観阿弥は一変して十代の芸能少年、自然居士に扮し、人買いの手から少女を救わんと颯爽と登場する。捕らわれの少女役は世阿弥。しかしその、後ろ手に縛られて猿轡を嵌められ、舟のオールで叩かれる嗜虐的な場面に、義満は思わず眉を顰(ひそ)めた
「これは如何にも悪趣味だ。酷過ぎる」出来る事なら自分が舞台に駆け上って助けてやりたい様な気迄して、何と愚かな事を考えているのだろうと思った程だった。