俺は一つ一つ丁寧に頷き、合間で物件のことを褒めた。失礼のないよう、そして少しでもいい印象を与えられるように精一杯努める。
一通り見学をしたら退室だ。あまり質問攻めが好まれないのは、前回の引っ越しの際に学んだことである。疑問があったとしても、退室をしてからの方がいいのだ。
「ありがとうございました!」
最後にお礼を言いバタンと扉を閉めた。
緊張の糸が緩む。ふぅ……と深呼吸をすると、空気が一気に俺の体を駆け巡った。
再びエレベーターに乗り込んだ後、相談員は口を開く。
「お疲れ様でした。いかがでございましたか」
「すごくよかった。ぜひこのまま話を進めていただきたい」
「かしこまりました。それでは先方のお気持ちも確認し、改めてご連絡致します」
翌日、電話が鳴った。番号を見ると相談所からだった。
「昨日はありがとうございました。先方のお気持ちの確認が取れましたので、ご報告でございます。大変残念なのですが……」
結果はお断りであった。よりよい出会いだと思っていたのは、自分の方だけだったようだ。一体何がよくなかったのか……。俺は理由を聞いてみた。
「実はお客様のご見学の後にもう一方ご見学者様がいらっしゃり、そちらの方を気に入られたようなのです。決め手は扉の閉め方だったとのこと。先方の言い分ですと、お客様の閉め方は強くて気になったと……。
私の記憶ではそんなに強く閉めてはいなかったと思うのですが……。こればかりはご縁ですので、あまり気になさらず……。ご希望でしたら別物件の紹介も可能でございます」
正直なところ落ち込む気持ちがないと言ったら嘘になるが、相談員の言う通り、これはご縁がなかったということだ。さっさと気持ちを切り替えて次へと進むことにする。
【前回の記事を読む】ボクの仕事は、いわゆる肉体労働と呼ばれるものだ。
次回更新は9月9日(月)、18時の予定です。