家族のうち三人はパーッとお金を使ってしまうが娘だけは違(ちが)っていて、小さな頃から無駄使(むだづか)いはせず、お年玉やお小使(こづか)いは全部(ぜんぶ)貯金(ちょきん)をする、我が家一番のお金持ちだった。
高校生にして大金持ちの娘のお陰で危機(きき)を脱することができ、また、耳に入ってくる数人からの怖い話のお陰で頑張ることもでき、辛(かろう)じてオンボロ車の廃車 (はいしゃ)は免(まぬが)れた。
店を始めてまだ客が疎(まば)らだった頃は、今から思うと異様(いよう)な程仕事(しごと)第一優先で、早朝四時には店に入り、他店ではよくある十五時頃から十八時頃までの準備中の札は下げず通しで営業をし、一日の仕事を終えて家に帰るのはその日のうちではなく、時計の針が翌日の時間を指(さ)すということもしょっちゅうだった。
徐々 (じょじょ)に客が増え、お持ち帰りも多くなり、団体 (だんたい)のお弁当の注文(ちゅうもん)も増(ふ)えた。
確かに収入は格段 (かくだん)に増えたが、反面 (はんめん)、子供達と顔を合わせることが更(さら)に極端 (きょくたん)に減(へ)り、罪悪感 (ざいあくかん)ばかりだった。
サラリーマン時代は専業主婦(せんぎょうしゅふ)だったので、どんな場合でも母親が家にいるのが当たり前という家庭環境(かていかんきょう)で育った子供達に、九州に永住 (えいじゅう)するかどうかの家族会議で「イェ~イ‼」と親と一緒 (いっしょ)に軽いノリで挙手 (きょしゅ)をさせてしまい、その直後(ちょくご)から、子供達二人だけのカギっ子の生活が始まったのだ。