第一章 再起

倒れた時、病院で検査する為のお金を、父亲(フーチン)も母亲(ムーチン)も持ってなかったの。親戚も友達も皆、お金なんか持ってなかった。

お金がないと検査できないから治療もできないとお医者さんから言われた時、父亲(フーチン)は病院の小詩(シャオシ)のベッドの横で、お医者さんに頭を床に擦(こす)り付けて「助けて下さい」と百回くらい頼んでいたよ。

でも、誰も何も言ってくれなかった。母亲(ムーチン)は、黙ったまま病院の床を拳で叩き続けていたよ。それで、母亲(ムーチン)の綺麗な手が真っ黒になっちゃった。母亲(ムーチン)の言うことを聞いて、しっかり食べて元気にいて下さい。》

仁から教えられる海外での旅行情報に興味津々の時に、大学で国費での欧州留学の公募があった。躊躇なく申し込み、猛勉強の日々が始まった。生活費と学費の心配がなくなった今、大連で欧米人を見つけては、会話を楽しみながら、実力を磨いていった。

最終選考では少数民族出身者は丽萍(リーピン)のみであったことが優位に働いて、ドイツへの国費留学生として選考を勝ち取った。二月後(ふたつきご)、初夏の浦東空港から中国国際航空でフランクフルト国際空港への渡航となった。

丽萍(リーピン)は渡航日の一週間前から上海に滞在し、仁との最後の別れを惜しんだ。丽萍(リーピン)は二年間の長期留学にもかかわらず手荷物程度で上海に入り、所持金も少なかった。上海滞在は、大型の旅行用バッグの購入に始まり、連日の買い物となった。

出発日には早朝にホテルからタクシーに乗り、空港までの道程は空虚な一時間であった。仁は仕事の混乱収束の対応に悩んでおり、丽萍(リーピン)は、初めての海外渡航の不安で寡黙となっていた。互いに相手を思いやる気持ちが十分に持てず、浦東空港での別れもあっさりしたものであった。

空港ロビーで朝食を楽しんだ後、別れ際に仁の百元札は全て丽萍(リーピン)の財布に収まり、出会ってから、たった一年であったが、感謝の気持ちを伝える為、互いに見えなくなるまで手を振った。

仁はタクシー代の現金がないことで、空港から上海市内まで初めての公共バスに乗り込み、言葉も通じず、手元の現金も少ないことで不安な時間を過ごした。