丽萍(リーピン)のドイツ生活は、予想以上の苦痛の日々だった。早期での語学習得の為、半年間の語学学校での受講から始まった。欧州の文化や歴史を学ぶ為、美術館や博物館への見学も多く、その殆どが実費負担を要求された。

宿泊はコンフォートスタイルで、中国人留学生三名で共同生活を行うことになっていた。家賃、食費、通学費と毎日の費用の捻出は、中国の田舎生活では考えられない金額となっていた。ワーキングホリデーも確認したが国費留学生には認められず、語学習得前で既に持ち金は底を突いていた。

同居の二人は北京と上海の外語学院生で、共に国営や国策企業に勤める父母を持ち、俗に言う富裕層でドイツの関連企業から生活費が支給されていることを後から知ることになる。

丽萍(リーピン)の生活費は二人が賄(まかな)い、丽萍(リーピン)を下僕のように使う生活が始まった。後から思うと、まるでドイツ童話の「シンデレラ」の実写版のような生活であった。そんな中、中国領事館より、一通の封筒が手元に届けられた。

《小詩(シャオシ)、元気で過ごしていますか。あなたのことが心配です。

ドイツに来てから、毎日、お金のことばかり考えていて、全く勉強ができていません。一緒に住んでいる燕(イアン)と悠然(ヨウラン)は、勉強もそこそこに、観光と高級レストランに入り浸りです。

私は安い食材を探して市場に通っていますが、何が入っているかよく分からないソーセージとフランスパンばかり食べています。ドイツのハンブルクは、鞍山と同じでとても寒く、大連と同じような港湾都市です。でも、部屋はとても暖かく、快適です。

台所があって、小さな個室が三部屋あります。掃除洗濯と朝食作りは私の役目で、燕(イアン)と悠然(ヨウラン)の宿題やノートの整理も毎日の仕事になっています。その為、独語と英語が身に付きました。燕(イアン)と悠然(ヨウラン)は、掃除や洗濯、料理は中国でもしたことがなくて、私が代わりにしています。大学では多くの友人もできました。

ハンブルクは、想像以上に綺麗な街です。水辺に浮かぶ市庁舎は絶景です。でも、一人での散策は少し寂しいです。あなたが、もう少し自由に動けるようになったら、倉庫街を一緒に歩きたいです。あまり回る時間はないけど、ハンブルクの街の観光案内くらいはできます。

体調はどうですか。母亲(ムーチン)から週に一回程、学校のコンピューターからメールが来ます。父亲(フーチン)のことは全く分かりませんが、小詩(シャオシ)のことばかり書いています。

元気でいるので、安心して勉強しなさいと、書かれています。でも、本当に元気ですか。母亲(ムーチン)の言うことを聞いて、しっかり食べて元気にいて下さい。》

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