【前回の記事を読む】1年ぶりの再会に喜んでいる様子はなく...... 帰り道、何に怒っているのか、何が悔しいのか分からないまま大粒の涙が頬を伝った。
第一章 再起
《小詩(シャオシ)、天国で楽しく健やかにいることを祈っています。あなたのことを忘れることができません。
あなたが生まれるずっと前に、父亲(フーチン)と母亲(ムーチン)は、天津で知り合ったそうです。父亲(フーチン)は南開大学の、母亲(ムーチン)は天津師範大学の学生だったそうです。そう1960年代頃の話です。二人は、同郷の中国共産主義青年団*の集会で知り合い、同郷のよしみで親しくなったそうです。
父亲(フーチン)は上山下郷運動*の中、知青*として、鉄工所建設の為に故郷に帰りました。鉄工所が完成しても建築の知識が少しあった父亲(フーチン)を中国共産党は手放さず、幹部になることを約束して工員として働くことを依頼しました。彼は、守られることのない約束を信じ、母亲(ムーチン)を天津から呼び戻し、二人での生活を始めたそうです。
1980年頃には私も生まれていたし、二人は真面目に一生懸命働いたそうです。住居や食べ物は工場から支給され、薄給でも生活は順調でした。保育施設や小学校は無償で治療費も要らない生活が続いていたけど、工場が半官半民となると給料が上がり、無償だったものが全てお金がいるようになったそうです。
でも、二人の生活は質素だったけど、楽しい毎日だったと言っていました。
あの日が来るまで。
小詩(シャオシ)がなぜ生きていけなかったのか、私の罪の大きさに慄いています。》