第一章 再起

《小詩(シャオシ)、元気で過ごしていますか。あなたのことが心配です。

仁が香港に一緒に行こうと言ってくれました。香港への渡航証を大学に申請しました。二週間後には、香港に行けます。香港から帰ってきたら、大学の授業料を払わないと退学になることを彼に説明しました。彼は驚いていました。

日本では奨学金や銀行からの教育ローンとか困窮学生を支援する方法があると教えてくれましたが、ここにはそんな夢のような話は聞いたことがありません。彼は困った顔をしていましたが、用意してくれるようです。

母亲(ムーチン)はあと三年くらいで退職になるけど、給与がなくなると生活が心配になるね。新しい車椅子は慣れましたか。ベッドから車椅子への移動は、うまくできますか。母亲(ムーチン)がいたら大丈夫よね。

でも、トイレは一人では無理かなぁ。母亲(ムーチン)に西洋式のトイレに変えるようにお願いしたよ。もう少し、もう少し、無理せず、希望を持って頑張ってね。母亲(ムーチン)の言うことを聞いて、しっかり食べて元気にいて下さい。》

仁に連れられて初めて香港を訪れた時に、丽萍(リーピン)は、不思議な体験をした。今まで、習った標準語や広東語以外の言葉が聞こえてきた。その言葉は、決して大きな声ではなく、囁くように上級市民と思われる人達が使っていた。

香港は、中国復帰後の混乱で人の出入りが煩雑となっていたが、百年前の英国への割譲時にも清王朝を支配した満州民族の主要な人々は、滅びゆく清王朝から逃れる為、財産と未来永劫の繁栄を確保する為に香港への移住と潜入を密かに行っていた。

彼らは故郷のツングース語を駆使し、地上に現れない満僑を構築し、巨大な欧州経済に浸透し財産と家族の持続可能な繁栄を図っていた。

彼らは決して表に出ることなく、中国国内の高級華人や成り上りの韓国人を操りながら、特に海運を主とする貿易業、貴金属業や高所得者を相手にした高級飲食業に投資しながら、政府高官にも表裏で影響力を発揮していた。

丽萍(リーピン)は、満族の両親の元で小学校に上がるまで、今では誰も話さないツングース語を使っていた。香港に来て過去の記憶を呼び覚ますことになった。

香港にも日本人クラブがあり韓国系、比国系、中国系、地場の四系列の店がある。一番多いのが韓国系でホステスはほぼ韓国人、香港の酒場で韓国人女性相手に日本語で酒を酌み交わし、異国情緒を味わうことができる。

彼女達は、容姿の優劣により韓国内、日本、香港、中国の順で働く国が変わるそうだ。他に日本の入国管理局で強制退去させられ、日本に入国できない韓国人が、香港の日本人クラブで稼いでいる者も多いとのこと。