自分たちの母なる国の独立を夢見る志士たちに囲まれ、二人はその小さな島でささやかな結婚式を挙げました。

アゲタはいつも優しい瞳で、アジア独立の志士たちを支えてくれたそうです。同じ頃、祖国インドをイギリスから独立させようと日本に亡命していたラス・ビハリ・ボースは、彼を助けてくれていた頭山満や、犬養毅たちにリカルテの救出を頼み、そのおかげでリカルテはついに日本亡命を果たし、1923年から横浜に住むようになりました。

その10年後の1934年、アメリカはフィリピンの半独立を認め、かつての同志たちは横浜にリカルテを訪ね、帰国を願いました。ところが、『わたしは、フィリピンにアメリカ国旗が翻っている限り帰らない。わたしが帰る日は、母なる国が完全に独立して、フィリピン独立軍の旗が翻るときだ』とリカルテは首を縦に振りませんでした。

1941年、日米開戦の日が来ると、リカルテは母国フィリピン独立の最後の夢を懸けて帰国し、日本と共に対米戦に身を投じます。開戦当初こそ戦果を挙げた日本でしたが、そもそも物量で圧倒的に劣勢の日本は徐々に追い込まれていきました。

1944年にはマッカーサー司令官が反撃に転じ、対する山下奉文陸軍将軍は、マニラを支えきれなくなり、山岳地帯へ退いていきます。

武器弾薬も尽き、食料もなくマラリアや赤痢などで死んでいく日本兵たち……。シンガポール陥落でマレーの虎と呼ばれた山下将軍をもってしても戦況を変えることはできず、フィリピンの未来のためにリカルテ将軍を死なせてはいけないと、山下将軍は再び日本への亡命を進言しました。

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