【前回の記事を読む】この地で玉砕した日本兵が、日本へ最後に打電したのが「サクラサクラ」だった。私や子供たちがこのミドルネームを使っているのは…
太平洋の波の上で ─22年後─
サクラサクラ
「太平洋を取り巻く地域に住んでいた人々のことをあなたはご存じかな?」
「えっ? どこのこと?」
「たとえばエスキモーとかインディアン、ネイティブアメリカンとか?」
「ああ、はい」
「わたしたちもともと太平洋を取り巻く世界に生きた人間たちは、時代と距離を超えて魂の交流ができていたのだよ」
「ええ? どういうことですか?」
「亜美、あなたはジョホールバルへ行ったことがあるだろう?」
「えっ、どこそれ?」
「シンガポールの向かい側だよ」
「あ、確かに」こどものときに、それはサッカー日本代表がワールドカップのフランス大会への初出場をかけて、対イラン戦、アジア第三代表決定戦が行われた、シンガポールの対岸の場所だった。
両親の手に引かれて日本サポーターとして応援に行った。頬っぺたに日の丸をペイントして、よくわからないけどとにかく懸命に応援していたこと、Vゴール方式の延長戦で日本が劇的勝利を収めたこと、日本の応援団が大興奮だったことがわずかだが記憶にある。