太平洋の波の上で ─22年後─
侵略者の皇太子
「彼らは、白人覇権国にアジア人同士が分断され戦わされないように、アジア諸国の独立支援に命をかけていました。中国革命の父と言われる孫文のことも応援していました。そして布引丸の準備には日本の財閥も協力してくれたのです。
リカルテ将軍は布引丸の到着を心待ちにしていたのですが、残念ながら上海沖合で沈んでしまいました。しかし、この善意をフィリピン独立の志士たちは忘れることなく伝え続けました。アメリカ統治時代でも日本に対する信頼がゆらぐことはなかったのです。
大東亜戦争中、日本軍に抵抗し続けた反日フィリピンの人々ということだけが事実とは言い切れません。後にマルコス大統領は、この恩に報いるべく、布引丸の日本の犠牲者の遺族を何度か国賓として招いています。
日本滞在中に明治天皇からアギナルド大統領に日本刀が下賜されることになり、わたしの祖父の兄は、犬養首相からそれを預かり、フィリピンへ持ち帰りました。
アギナルド大統領は生涯この日本刀を大切にしていたそうです。300年の長きにわたり独立を夢見てきたフィリピンの人たちにとって、日本は輝ける太陽でした。
日本がロシアに勝利したときには、マニラ市内は日の丸の旗を振ってお祝いする民衆で溢れかえり、お祭り騒ぎだったのです。アジア・アフリカの人たちは、一生涯白人たちの奴隷だという運命を変えることなどできないと思っていたからです。
これがわたしに残された写真です」