「ここにいたのか」
言いながら雄一は、スリッパのまま出てきてしまったことに気づいて困ったように足を上げた。
「何してたんだ」
土手の勾配(こうばい)を下りながら亜美に話し掛ける雄一。
「お父さん、これなんていう花?」
雄一は浴衣の裾を邪魔そうに手で払いながら亜美に歩み寄り、親子は少しずつ距離を縮めていった。
「ああ、すずらんだな」
「すずらんか」
花の名前がわかった亜美は嬉しそうに身をかがめた。
「すごいな、群生している」
雄一がそう言った時だった。
亜美の後方わずか数メートル、斜面に停めてあった十トンダンプがギギッといやらしい音を立てた。
飲酒した運転手が甘く引いたサイドブレーキが下りたのだ。
雄一が気づいた時、ダンプカーは巨大なタイヤを回転させて後ろへと加速し出していた、それは真っすぐ亜美を目掛けていた。
とっさの時、人は声を失う。息を呑んだ雄一は無言で土を蹴っていた。次の瞬間、亜美はすずらんの上を跳んだ。
突き飛ばされた亜美の身体はなぜかスローモーションでゆっくりと宙に浮いており、風に揺れるすずらんの音はなく、父はどうなったかと考えた途端、無音の世界からいきなり耳に飛び込んできたのはボン!という奇妙な音、雄一の首が不自然な角度に曲がったのを亜美は見た。
ダンプカーは雄一の身体を轢いて原っぱに突っ込み、しばらくすずらんの中を走って止まった。
§
気がつくと亜美はひとり原っぱに横たわっていた。
【前回の記事を読む】「オハヨー」の声に誘われて行った先には、南国色の美しい羽とおしろいを塗ったような白い顔の大きな赤い鳥が…