松葉金物店は、創業時は家庭金物などの日用品をはじめ釘、針金などの建設資材の販売をしていた。戦後復興の波に乗り、業容を拡大していった。そして、扱っていた資材を使って製造を少しずつ始めた。
最初に作り始めたのが亜鉛鉄板製のバケツだった。また、お茶の生産が盛んな土地だったので、茶筒の製造も始めた。これが松葉工業の製造会社としての始まりだった。
数年後、どこの農家でも飼っていた鶏の小屋で使われる金網の製造、続けて針金でフェンス用の網の製造を始めた。
昭和34年、鉄鋳物製の五右衛門風呂(家庭で使う風呂桶)の製造を、広島から職人を連れてきて始めた。その当時、南九州の家庭では殆ど薪で風呂の湯を沸かす五右衛門風呂が使われていた。
しかし、数年も経たないうちに生活様式の欧風化が急速に進み、石油ボイラーの釜、ガスボイラーの釜、そして給湯式の風呂へと代わっていき、五右衛門風呂は殆ど売れなくなった。
その頃、五右衛門風呂に代わる製品の開発を急げと、社長は会議の度に発破を掛けていたようだった。鋳鉄製の換気口などを作ってはみたが、売れない。安い樹脂製の換気口には太刀打ちできなかった。
マンホールは、強度のあるダクタイル鋳鉄製のものがよく売れ、普通鋼製のマンホールは用途が限られていて、あまり売れなかった。ダクタイル鋳鉄を始めようと電気炉を導入したが、本格的な稼働には至らなかった。
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次回更新は8月30日(金)、8時の予定です。