そんな先生の言葉に、松葉は、この博物館工事に自社のアルミ鋳物製品を採用して頂けると確信した。

そのとき、松葉の携帯が鳴った。

中村支店長からだ。

松葉は、先生に「すみません」と断って外に出た。

「松葉社長さんですか。本部からの決済が下りました」

支店長の明るい、弾んだ声が聞こえた。

「そうですか、ありがとうございました。すみません、今お客さんがいらっしゃいますので、またのちほど」

と言って松葉は電話を切った。

席に戻った松葉に、先生は丁寧に今回のお礼を言って、席を立った。

そして、帰りの車に乗り込む前に、工場長、製造課長にも「よろしくお願いします」と挨拶された。

先生を見送りながら、鹿児島第一銀行とのやり取りで疲弊し切った松葉の心を、さわやかな新緑の薫る初夏の風が吹き抜けていくのを感じた。

第4章 アルミ鋳物の創業

松葉工業の創業期

松葉の父静吉は、戦前母キミ子と一緒に中国に渡り、山西省大同で石灰、レンガを取扱う「大同建材商會」という会社を興した。松葉哲造は、ここで生を享けた。

敗戦後、中国より着の身着のままで引き揚げてきて、母の郷里である都城で金物屋を開業したのが松葉工業の始まりだ。

都城は当時10万人ほどの小さな田舎町だったが、都城経済圏域の人口は45万人ほどといわれ、宮崎県の県南地方そして大隅半島の交通の要衝として、人口の割には大いに栄えていた。