店名は「緑林の谷の庭師」という意味だが、林家の苗字を織り込んだうまい命名だと気に入っている。だが、時代や社会状況は変わる。庭師の看板にこだわるつもりはない。
日系人がアメリカ社会に根付くまでには、先人たちの想像を絶する苦労があった。日本人移民の低賃金労働や、閉鎖的仲間意識への反発に端を発する日本人排斥運動は、早くも移民開始当初から起きている。
「約束の地」カリフォルニアに移住してきた白人が感じた日系移民の脅威は、日露戦争での日本の勝利で一段と深まり、黄禍論が流布して排日運動が激化する。
その結果、カリフォルニアで日本人の土地所有を制限する外国人土地法が制定され、続いて排日移民法が連邦議会で成立した。この排日の気運は、一九四一年十二月の太平洋戦争の勃発によって一気にアメリカ社会で表面化する。
真珠湾攻撃の翌日、米国では敵性外国人の資産が凍結された。翌年二月にはルーズベルト大統領が、指定軍事地域から日系人及び他の破壊活動者を立ち退かせる権限を陸軍に与えた。
十一月までに、米国籍を持つ約七万人を含む約十一万人とも十二万人ともいわれる日本人と日系アメリカ人が、自宅から強制的に立ち退かされ、収容所に移された。
収容所は「戦時転住所」という言い訳がましい名前で呼ばれ、日本語表記の看板も立てられた。
次回更新は8月24日(土)、21時の予定です。