六 愛の物語の舞台・ヴェローナ、イタリアファッションの最先端・ミラノ
それは、『ロミオとジュリエット』が何故シェイクスピアの四大悲劇に入らないのだろうかということだった。シェイクスピアの四大悲劇については元々中学で吹奏楽部在籍中に知る機会があり、各話のあらすじも全て大まかに掴んでいた。
ロミオもジュリエットも敵対する家の人間として生まれ、最後は行き違いにより二人とも死を選んでしまう。不可抗力的要素、最後は主人公が自殺する点では、四代悲劇と何ら変わりはないはずだ。
死も扱っている題材なのに何故「悲劇」ではないのだろうか。その当時の中学生がジュリエットの家を見て絞り出した答えは、「『ロミオとジュリエット』はエンタメ性が強過ぎるから」。
言い換えれば、各四大悲劇を原作とした映画やドラマは『ロミオとジュリエット』のそれよりも少ないからなのでは、というのが理由だった。
あまりにも有名になり過ぎた結果として様々な解釈がなされたストーリーが数多展開され、原作本来の価値がどこかしら損なわれてしまった結果ではないかと、当時は至って真剣に考えた。
ただ、後々調べたところでは全く別の要素で「悲劇」とは呼べないのだそうだ。詳細は他の英米文学専門のお偉い先生方に答えを委ねるとして、ここでは当時の自分の考えを書くだけに留めよう。
そんな風に考えているうちにツアー一行はジュリエットの家を離れ、ヴェローナの中心地に移動した。中心地アレーナの近くには可愛らしい露店が並んでおり、新鮮な野菜や果物、チーズに肉など地元特産の食材やお土産もいくつか売られていた。
そこを少し見て回る際、お昼前にすでに小腹が空いていた私は、一つ二ユーロほどのチョコレートドーナッツを購入した。正直に言うと、イタリアのスイーツは日本のものよりも甘すぎるような気がずっとしていた。
ローマに着いて早々の衝撃から始まり、中南部で食べたものは甘いもの好きな私でも少し鬱陶しく感じるものもたまにあった。しかしそこで食べたドーナッツは日本のものに近く、砂糖に頼らない素朴な味が非常に印象的だった。
ドーナッツを食べながら市場を見て回る。観光客でありながら地元民になったような気がした、幸せな時間だった。
午前中にヴェローナを見た後は、一路ミラノに向かう。ミラノ市街地の近郊で生ハムとミラノ風リゾットを堪能した後は、最終目的地の中心街へと向かう。ミラノの方のドゥオーモは白く刺々しいという印象を持ったが、それだけに造りが精巧ということだ。