鹿島槍ヶ岳と五竜岳の間には、「八峰キレット」といわれる難所がある。ここは高度感のある鎖場が連続するエリアで、初心者向きのルートではないようだ。

「切戸(キレット)」はほかにもあり、北穂高から槍ヶ岳に向かう途中の南岳までのエリアは「大キレット」と呼ばれ、唐松岳から白馬岳へ向かうエリアは「不帰キレット」、ここの「八峰キレット」は、北アルプスの3大キレットの一つに数えられている。

命がけでこの難所を乗り越えて、成功して、誰が喜ぶか……。

自分だけの満足感に終わらないか? ここの難所越え成功がどれだけ価値ある行動か? 反対に失敗して転落死亡事故を起こしたら、どれだけの人が悲しむか? どれだけの人たちに迷惑をかけるだろうか?

そんなことを考えると、私は「八峰キレット」から先に進む気にはなれなかった。

(俺は意気地なしか。勇気がないのか。敵前逃亡兵か。と責めるもう一人の自分もいる。いいじゃないか、行きたい人は行けば)

小屋でつくってもらった弁当朝食をと思ったが、この冷たい強風のなかではとても広げる気にはなれない。下りるのがベストだろう。冷池山荘に午前8時15分帰着。

ここで朝食。山荘でホットミルクを注文。

寒かったので冷えた胃袋に染みこむようだった。

【鹿島槍ヶ岳(富山・長野)】1988年8月 奇遇ですね

30分くらい前から天気がおかしくなってきた。

冷池山荘でひと休みしていると、霧が出て雨と風はますます激しくなってきた。下山の道は二つ考えられる。一つは冷池山荘のすぐ近くから大谷原方面へ。道標には5時間とある。ほとんど下り一方らしいが、歩いたことのない道で不安がある。

もう一つは、昨日登ってきた道なので長いが不安はない。今朝、これまでにすでに3時間歩き疲れている上に、爺ヶ岳へのきつい登りを追加しなければならないが、時間はどちらも同じ。

天気が良ければ未知の道を歩いてみたいが、この悪天候だ。確かな道を行こうと決めた。

霧で足元周辺しか見えない。メガネを何度拭いても曇ってしまう。それでも、昨日歩いた道なので心強かった。

息切れしながら、やっと爺ヶ岳の頂上に着いた。

昨日はこの頂上で、即席ラーメンをつくって食べたのに、いまは暴風のなかだ。昨日の風景が信じられなかった。

ここから先は危険なところもないのでメガネをはずした。

雨で顔がびしょびしょになるのを、手拭いで何度も拭きながら歩いた。霧のなかに目指す種池山荘の赤い屋根を発見! 悪天候のなかの一人ぼっちで、山小屋を目の前にしたときの喜びは大きい。

山荘に到着。

冷たくなった手で重い引き戸を開けてなかに入った。ベンチに腰を下ろしてひと休みしていると、追うように登山者が三人入ってきた。なかは八人になった。

「珍しいところで会いましたね!」

と一人が近づいて来た。北アルプスの山小屋で、私を知っている人がいるとは?

メガネをはずしている私には、相手が誰なのかわからなかった。メガネをかけた。

「え!? 島さん!」

同じ職場で仕事をしてい28歳の同僚だった。

「父と弟も来ているんですよ」

お父さんは、土間にあるテーブルに付いて、ポテトチップスを食べている。島さんはお父さんと私を引き合わせてくれた。お父さんは56歳で、弟さんは26歳だという。弟さんは相当にバテたようで、ゴザの敷かれた床に仰向けになって休んでいる。

群馬県の太田市から夜行で信濃大町まで来て、今朝、扇沢から柏原新道を通って種池山荘まで登ってきたのだという。

島さん父子は、よくこうして三人で山に来るそうだ。

私は子育てのころ、8年間も胃腸病で苦しんだ。私が自分の子どもにしてあげたかったことを、島さんのお父さんはいま目の前で実行している。

私は島さん親子が無性にうらやましかった。

【前回の記事を読む】十勝岳の噴火の音を聞いて私は太平洋戦争の頃を思い出していた。あの時空襲で死んでいればその後の山登りもなかった。

次回更新は8月20日(火)、14時の予定です。

 

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