【羅臼岳(北海道)】夢の海峡 1990年8月
獣臭い登山道
ラウスという名前にはエキゾチックな響きがある。森繁久彌が作詞作曲し、加藤登紀子が歌う『知床旅情』でより広まったのは確かだ。
大雪山系の旭岳からトムラウシへの縦走登山を終えて、私たち三人は層雲峡、網走、斜里とマイカーで走り、知床半島を宇登呂(ウトロ)まで来て国民宿舎に泊まった。
翌朝、国民宿舎で朝食を済ませ、おにぎり弁当を持って出発。左にオホーツク海を眺めながら、知床半島をさらに奥に進んだ。フロントガラスに知床連山が流れていく。
右手一番高く険しいのが羅臼岳で、左に三ツ峰、サシルイ岳、とラクダのこぶのようにピークが並ぶ。
やがて海側の舗装道路から離れて石ころ道に入る。突然砂煙だ。こんな山のなかにこんな立派な旅館が、と思われる建物が一軒だけあった。
岩尾別温泉「ホテル地の涯」に到着。今夜の宿泊を予約して、これから羅臼岳を日帰りピストンする予定だ。
歩き出すとすぐに木下小屋があった。山男たちがテーブルの上で、携帯用コンロを使って朝食の準備している。小屋の横には「羅臼岳登山口」の立札があり、隣には「ヒグマに注意」ともあった。
暗い樹木に覆われた登山口で、私たち三人はいままで味わったことのない登山に対してしり込みした(ヒグマが出たら、怖いな……)。
私は自炊をしている人たちに聞いてみた。
「今日、これまでに何人か登っているんでしょうか?」
「けっこう登っていますよ。早朝から」
この話を聞いて、
「人が入り込んでいれば、熊は大丈夫でしょう」
と藤さん。覚悟を決めて、ダケカンバとブナの原生林のなかを登り始める。
足元には蟻(あり)が多い。蝉(せみ)の声がにぎやかだ。
「お~い、海が見えるぞ~」
前を行く高校生男子が、後から登っていく友だちに教えている。青いオホーツク海と、手前の樹海のなかに知床五湖が白く光っている。
「生臭くない?」
島さんに言われて、藤さんは鼻で息を2、3回吸うようにしてあたりを見回した。
「獣(けもの)臭いね」
突然足元をシマリスが横切った。
「やっぱりいるんだね。動物が」