第3章 山心の発展期

【奥穂高岳】 吊り尾根を越えて ~1986年7月(49歳)~

7月20日 上高地から入山

初心者の私が何日もかけて北アルプスに行けるのは、夏休みしかない。1回行って次は来年では、間が空きすぎて北アルプス大好き人間の気持ちは満たされない。ひと夏に2回行くには、1回目の出発を少しでも早くすることだ。

梅雨明けを待ちきれずに、夏休み早々の出発が恒例になっている。この年も8月に同僚の久我さんと話が決まっているので、その前の7月に勤務先の同僚で37歳の白井明さんと二人で奥穂高へ行くことになった。

長野県にある日本で3番目に高い山だ。白井さんと新宿駅を出発。松本から上高地に入り、梓川沿いを歩き、横尾まで詰めた。

7月21日 ザイテングラート

横尾山荘前から見上げる空は、雲に覆われていて、槍ヶ岳方面だけ少し明るい。「ここで食事をつくりますか」広場にあるテーブルで、もちラーメンの朝食。すると徳沢方面からブルーに白線の入ったジャージを着た女子高生たちが、続々とやって来る。

「どこの学校ですか?」

私は一人に聞いてみた。

「愛知県の森山高校です」
「何年生?」
「一年生です」

数百人の最後尾が到着すると、先生が笛を鳴らした。

「このあたりで朝食をとりなさい。ごみは絶対に散らかさないこと。いいですね」

女子高生たちは蝶ヶ岳に登るという。私たちは涸沢に向かった。梓川は澄んでいて川底の石まで見える。後ろから60歳を超えたと思われる男性3人組が来る。

樹林を抜けると道は明るくなった。左手に屏風岩がそそり立つ。

「もうそろそろ本谷橋ですね」

白井さんに後ろから声をかけた。橋の手前の石の上に腰を下ろしてひと休み。

3人組が追いついてきた。一人は野球帽をかぶっている。私が声をかけた。

「お強いですね!」
「いや~もう60歳ですわ。モンブランへの足慣らしです」

海外旅行などまだ考えられない私には冗談かと思えた。男は言葉をつないだ。

「去年はシャモニーへ行ってきましたよ」

私たちはこの人からヨーロッパアルプスの話を聞きながら、しばらく一緒に歩く。涸沢雪渓の取っ付きまで来ると、木陰で老夫婦が休んでいた。

「川越の方ですか?」

私の帽子の横には、「川越シネクラブ」の名前が入っている。

「はい、そうですけど」
「私たち浦和なんですよ」
「じゃあ、お近くですね」

話してみると、この夫婦も8月末にアイガーに行くという。ガイド料は3日間で600フランだとか。涸沢ヒュッテ周辺にはテントがたくさん張ってあった。