奥穂、涸沢、北穂とも上半分は濃い霧がかかっている。チングルマやハクサンイチゲが多い。

何度か雪渓をトラバース(斜面を横断)して、いよいよザイテングラートに取りついた。白井さんの前を若い男の子が二人行く。

「君たち高校生?」

私が聞くと、一人が振り向いた。

「兄は高校生だけど、僕は中学生です」

北アルプスの山のなかを歩く兄弟二人。どんなアクシデントが起きるかもしれないが、彼らを信じて家を送り出したご両親の教育方針に頭が下がる思いがした。

ザイテングラートを登りながら立ち止まって振り返ると、蝶ヶ岳が屏風岩の右上に見えてきた。向こうは晴れている。(女子高生たちも晴れて良かったね)と思った。ちょうど私の娘くらいの年ごろだ。

ザイテンは700メートルの鉄砲登り。四つん這いの岩場が続く。登る左側には大きな斜面の雪渓があり、ピッケルを使って滑り下りて来る人がいた。

グリセードという高度な登山技術である。本物のグリセードを初めて見た。

霧と風のなかを穂高岳山荘に着いたのは、横尾を出てから7時間後だった。宿泊を申込み、指定された場所にザックを下ろし、やがてビールと夕食。横になって休んでいると、室内放送があった。

「夕ご飯の終わったあと、食堂で穂高の16ミリ映画を上映しますので、食堂へどうぞ!」

食堂へ行くと満員。私たちは2階への階段の途中に腰を下ろした。大きなスクリーンが降りて、映写機が動き出した。

穂高の四季が次々に映し出される。雷鳥の巣のなかを写し、卵を写し、やがて卵が割れて雛になる場面を写し、親鳥からエサを受けるシーンがあった。何度も撮影に通ったことがわかる。

北穂から大キレットの向こうに槍ヶ岳、裏銀座方面に延びる稜線、飛騨側から信州側に雲海が流れ落ちる。滝雲のシーンが凄かった。この山荘の主人が10年以上もかけた作品だという。感動!

 

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