冬の訪れと卒業式

昔はエスカレーター式に大学まで行けることを望んでいた親が多かった。私も付属の高校に通っていた。そのため、母はそのまま大学まで行ってくれると信じて疑わなかった。母は、

「どうして、ストレートで大学に行かないのよ、理由は何?」

「受験に失敗して、浪人でもしたらどうするのよ」

と問いただした。返答はしなかったが、他の人と同じ楽な道を歩みたくなかった。ただそれだけのことだった。学年の九十パーセント以上の人がストレートで大学に進学したが、私は別の道を選択した。

高校三年の時、ほとんどの友人はバイトや遊びで忙しかったが、私は受験勉強を行っていた。どうして、自分だけがこんなに辛い思いをしなければならないのだろうと思ったこともあった。受験に二度失敗し、三度目でようやく大学に入学することができた。

学校を卒業し、入社したての頃、同年齢や年下の会社の先輩に、“さん”付けして呼ぶことに抵抗はあったが何年も経ち、年齢を気にすることはなくなった。

毎年一月から二月にかけて行われる中学受験の親の気持ちは特によく分かるようになった。千恵ができないことで、私ができることは全てやりたかった。少しでも家族のために役に立ちたかった。

一月下旬、娘の中学受験が始まった。千恵は自宅で静養し、私が試験会場まで付いて行った。娘と二人きりで外に出たのは、幼稚園に入る前に近くの公園に行ったのが最後だから、どのくらいの時間が経ったのだろう? 娘は覚えてはいないはずだ。娘に、

「楽しんできてね、自信を持って」

とエールを送った。また、別の試験日で面接があったある学校では、面接官から

「お母様は?」と聞かれ、

「風邪を拗らせて、体調が悪いため、私が同席致しました」

と回答した。私の面接の返答が悪く、不合格になるようなことは絶対避けなければならない。事前に面接の想定問答集を作り、千恵にチェックしてもらった。