老楽

「長生きするのも楽じゃないやね」

彼はボソッとつぶやいた。町内会広場で毎朝ラジオ体操。リーダー格の彼は八十三歳。最近体調を崩したせいか、珍しく愚痴が出る。

私も後期高齢者の仲間入りをした。七十六年間なんてあっという間、光陰矢の如し。

年齢を重ねてみないと見えない景色もある。周りにいた知人や友人が次々とあの世に旅立つ。二年前には夫もがんで逝ってしまった。埋め切れない喪失感。

「散る桜、残る桜も散る桜」とは、よく言ったものだ。

いずれすべての人がこの世を去る。そう思うと、どんな人でも許せる気がする。自分の心が丸くなっていくのがよくわかる。

老いの身には金はないが暇だけはある。今日は小春日和、腰や膝をかばいながら、もう少しで目当ての神社の杜。路傍に紫陽花の青い花が一輪返り咲いて迎えてくれる。

老楽(おいらく)という言葉があるらしい。老いをとことん楽しむことのようだ。 日本地図を作成した伊能忠敬は六十歳を過ぎて測量の旅に出た。かの有名な葛飾北斎の代表作はほぼ七十代のもの。中国のクブチ沙漠に銅像が建つ遠山正瑛は八十歳で沙漠緑化の植林を始めた。

体力は落ちても、知力、能力が熟するのは老年になってからかもしれない。人間AIである。

「老楽」とは、みっともなくても、かっこ悪くても、這ってでも生き抜いてやる、生きるとはそういうことだと示すことかもしれない。

若者よ、年を重ねることを嘆かないで。物事はなるようになる。大丈夫、めげない、めげない。小春日和の紫陽花のように周囲が枯れても平然と咲いてみせる。何と美しい姿か。

さてさて、残された時間がどのくらいあるのだろう。わからないけど、みごと枯れ木に花を咲かせてみたいものだ。