ボランティア活動でのことだが、脊椎の病気がありほとんど動けない方が、私が冷蔵庫のありあわせの材料で作った味噌汁を食べ、「こんなおいしいもの初めて食べた」と喜ばれ、次回に行った時は起きて来てお喋り出来るほど元気になられ、三度目に訪問した時は玄関まで迎えに出て来られびっくりした。

こんな極端な例は少ないけれど、子供は離れて住み、夫と二人暮らし、おそらく夫に甘えることも出来ず、気兼ねしながら不安や痛みに押し潰されて暮らしておられたのではと思う。

私たちはその方々にちょっと手をさしのべ、過分な感謝をいただく。

ところが今回のことで、私は周囲から助けられることになった。

家族はもとより姉妹、近所の方々、友人たちが私にとっては良きボランティアであった。特に近所の方々には私の愚痴を聞いていただいたり、姑の話し相手になっていただいたりで、どれほどありがたかったことか。

自分の活動がどれほどの力になるのだろうと思ったこともある。しかし、今回のことでヘルパー活動の力を再認識することになった。

厳しい介護も病院では看護婦さん方に助けられねぎらわれたから、やってこれた。

それと、米良美一の「ロマンス」のCDと、トランプはずっと私を助けてくれた。

姑の横で日記を書き、トランプの一人遊びをやり、米良美一の歌を徹夜の友とした。

介護する側、される側、双方には今日に至る歴史がある。長い介護となると実の親子の間でさえ、ぎくしゃくしてくる例も見聞きしている。ましてや嫁姑間には、普段から程度の差こそあれ溝がある。ここで中に立つ夫の役割が非常に大切になってくることに、世の夫族は気がついてないか、逃げている。

【前回の記事を読む】「息子にまだ嫁さんおらへんねん。うち、心配で死なれへん」と言い出す姑。私は嫁ではなく世話してくれる人と思われていたようで…

次回更新は7月31日(水)、14時の予定です。

 

【イチオシ記事】「気がつくべきだった」アプリで知り合った男を信じた結果…

【注目記事】四十歳を過ぎてもマイホームも持たない団地妻になっているとは思わなかった…想像していたのは左ハンドルの高級車に乗って名門小学校に子供を送り迎えしている自分だった