第一章 嫁姑奮戦記

嫁が世話をするのは当然だ、俺は会社で大変なのだ。養ってやっているではないかと、ねぎらいの言葉さえない。

介護する者はされるほうの生き方まで背負い込まなければならない。これは結構大変なことなのだ。付かず離れずのこれまでの間柄であれば辛抱出来ることでも、密着せざるを得ない関係になるとお互いに大きなストレスとなる。

ヘルパーは、このしがらみがないだけ気が楽といえば楽だ。おまけに感謝の言葉以外に報酬という目に見えるものまでいただける。二時間とか三時間とか時間制限がある。家族の介護はひどい時は二十四時間である。

私は姑の入院中、看護婦さんの働きには頭の下がる思いをした。そのうえ親切で優しかった。おそらく施設の職員もそうであろうと思うし、私たちヘルパーも皆そうだと思いたい。

しかし家族となると、そうはいかない。看病疲れで気持ちも荒れてくるのだ。このような家族の負担を少しでも軽減するためにも、早急に福祉の充実を図って欲しい。税の無駄使いは許されぬことだが、明らかにせよと叫んでいる間にも、高齢化は着々と進み、足元から這い上がってくる。

政治家も甘いことばかり言わず、福祉には膨大なお金がかかることをきっちり説明し、国民を納得させて欲しいものだ。

それも出来ないのなら、せめて自助努力をと言える政治家は居ないものか。

保身のため国の将来に目を向けようとしない彼等には不信感がつのる。我々も現実 から目をそらさず向き合えば、このままでは自分や孫子の将来がおぼつかないことに気がつくはずだ。

私も来年還暦を迎える。物忘れはひどく物覚えはからきしときている。この分では姑の年を無事迎えられるか頼りないことこのうえない。