それでも家にいて、子どもたちからチクチク嫌味を言われるより、ここの生活のほうが何倍かマシだと思った。私はできることなら、坂本曜の記憶ごとなにもかも忘れてしまいたい、本当に認知症になってしまいたいと願っていた。

今までのすべてのことが現実で、その延長で現在の生活を受け入れることは、みじめすぎる。なぜ大金を坂本に支払ってしまったのか、あのときは運命の大きな渦のなかにいた。あとになって考えてそんなバカなことをと、自分で思ってみても、人は知らずに落ちてしまう魔の刻がある。強いて言うなら、あれは魔が差したのだ。

私が施設に入所して、もう何か月経ったのだろう。誰も面会に来ない。

同じように、家族が会いにこないのだろう。逃げ出そうと試みる、老人がいる。連れ戻されて、家族や施設の職員に怒鳴られているのを聞くと、私たちは施設にとってお客様ではないのだと、つくづく思い知る。

お風呂に入った帰りに、ほかの部屋からこんな会話が聞こえてきた。

「もう二度と関わりたくないんですよ。死んだら無縁仏として埋葬してくれませんか? これでお終いにしてほしいんです。死ぬまでにかかるお金は払いますから」

そう言ったのは入所者の息子だろうか。脇で聞いていたであろう、お父様かお母様は会話の内容がわかっていたのだろうか。

きっと家の息子も、内心似たようなことを考えているのだろう。このようなことになって、親を敬えなどと言うつもりはない。でも、自分たちさえよければいい、それも違うだろう。