パンドラの箱が開いた
ある朝、僕の日常は一変する。
工場に出勤したときに大騒ぎになっていた。ネジ製造工程のラインが止まっていた。その事態が、こともあろうに僕の責任になっていたのだ。製品のネジの溝のわずかなズレが、僕の責任だというのである。
昨夜作業をやりかけて、そのまま帰ってしまったと言われたが、いつもの終業時と変わったところは、いくら考えても僕には思い浮かばなかった。
仕事の最後に班長が確認して、ラインを止めて帰るのがいつもの習慣だったから、「あとの不手際を僕の責任にされても困ります」と主張したが、一蹴されてしまった。
僕にネジの溝の幅を決める権限が、あるわけがないじゃないか。社長の奥さんは、かばってくれた。でも、小さい町工場は、僕の面倒まで見切れなかったのだろう。
社長に明日から来なくていいと言われた。約十か月が過ぎていた。
次に勤めたのは、新聞販売店だった。
新聞を配ってくるだけだと高を括っていた。このあたりから、僕は図々しくなっていた。ずっとうまくいっていなかったから、ヤケを起こして開き直ったのだ。
軽く見ていた新聞販売店の仕事は、新聞の新規契約まで取ってこなくてはならなくて、なかなか難しかった。
以前は新規顧客を開拓する専門の営業が別にいたのだが、売り上げが厳しい状況で人員削減が行われた。僕はなんとか残った。クビにならないように、毎日、必死で頑張った。
店の二階が、販売員の寝泊まりする部屋として宛がわれていた。六畳間だったが、個室ではなく二人部屋だった。僕はドア側の半分を使用していた。
母さんと住んでいた、小さなアパートを思い出した。記憶のなかのアパートの部屋は、西日が当たりとても暑かったが、店の二階の部屋は低層のビルが隣接していて、朝も昼も日が当たらず薄暗かった。
同室になった男は、おとなしいタイプで気配がなく、トイレやお風呂のときに僕の居住スペースを横切られると、いつもびっくりした。僕が先に住んでいたが、お互い挨拶もせずに、そいつは数か月で辞めて出ていってしまった。