四 半日で巡るローマの真髄、まさかの苦手克服
私は元々戦争が大嫌いだった。自分たちの日常や家族、大切な人々が一瞬で失われるからという理由は今も変わりはない。しかしその時から思い始めたのは、戦争の何が最も嫌いかといえば文化的・知的活動が極端に制限されるという点だ。
旧日本軍が太平洋戦争中異常なまでに屋内外の文化活動を異常なまでに制限したことは歴史漫画を通して知っていたが、このような状況に日本も近いうちになってしまうのではないか。
実際、世界各地で未だに紛争・戦争の火種は絶えず、言論や様々な活動の自由が制限される事例が跡を絶たない。
ロシアの場合、ウクライナ侵攻を正当化するプロパガンダが蔓延し、反戦を訴える者は投獄されるか、国外に逃亡するかになっている。日本もいずれ戦闘状態に入り、八十年ほど前のように報道の自由も制限されてしまうのではなかろうか。
そうでなくても、大人になった今思うのは、言論の自由や戦時中の事実を伝える媒体に対して徐々に圧力がかかっているのではということだ。自らの文化を抑圧した者は自ら身を滅ぼすというのが、二〇世紀以降の教訓ではなかろうか。独裁体制は、諸刃の剣だ。
人類の歴史・文化遺産を少しでも現地で見た私が考えなければならないもの。戦争と平和に対する問いと答え。それは、一生かかっても分からないものなのかもしれない。
フィレンツェに向かう車中でも、時々羊の群れとユーロスターを見ながら自分がこれから何を考えなければならないかということに、思いを巡らせた。