三十 け 4373
今日(けふ)よりは かへり見なくて 大君の
醜(しこ)の御楯(みたて)と 出で立つ我は
火長今奉部与曾布(くわちょういままつりべのよそふ)
訳 今日からは、後のことを気にせずに、天皇のために守備兵となって出立していくのだ、おれは
【注】1今日よりはかへり見なくて=今日までの望郷の想い等を振り切って門出しようとする表現
【注】2醜の御楯=つたない御楯。「醜」は本来すさまじいこと、頑強の意らしいが、集中では自分をへりくだって言う事が多い。ここでは卑下の気持を表す
三十一 こ 1
籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児(こ)
家聞かな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそいませ われこそば 告(の)らめ 家をも名をも
雄略天皇
訳 おお、籠も良い籠を持ち、おお、へらもよいへらを持ち、この岡で野草を摘んでおられるおとめよ、家はどこかおっしゃいな、名前をおっしゃいな。
大和国は、すべて私が治め支配しているのだ。私の方から言おうか、家も名も
【注】1 籠もよ=籠はかご。抱えたり、腰に付けたりする。「もよ」=詠嘆を表す間投詞
【注】2 み籠=「み」=立派だ、美しいの意を表す接頭語。ここでは、神的な霊力を付着しているという意味を含む、持ち物を通して娘子をほめている
【注】3 ふくし=掘串=竹や木で造ったへら。根菜掘りの道具
【注】4 菜摘ます児=「菜摘ます」=「菜摘む」の尊敬語。「菜」は野草。春新たに芽吹く野草を摘み、それを食することは、植物の持つ生命力を身に取り込もうとする意味を持つ。古代の野遊びの一つ。「児」は女性を親しんで呼ぶ語
【注】5 告らせ=「告る」の尊敬語。「告る」は発言の中で最も重要なものを行う場合にのみ使われる語。「祝詞」に通ずる。「せ」は尊敬を表す上代の助動詞「す」の命令形。家や名を告げるのは結婚の承諾を意味する
【注】6 名告らさね=古代人は、名が即ち実体そのものであると意識しており本名は身内などのさら限られた人間が知るものであった。
名を知らせることはそのまま自分の全てを相手に曝け出し、相手の意のままになる事を意味した。「さ」は尊敬を表す上代の助動詞「す」の未然形。「ね」は相手に対する願望を表す上代の終助詞
【注】7 そらみつ=「大和」の枕詞。神の霊力の行き渡った地の意か
【注】8 おしなべて=押しなびかせて、の意。私がすっかり平らげているのだが
【注】9 「こそ」=強意の係助詞「こそ」が未然形で結ばれ下に続く場合、逆説的に接続するのが原則
【注】10 「しき」=「しく」は領有するの意。「治(し)る」「占(し)む」と同根の語
【注】11 しきなべて=私が隅々まで治めているのだが。「コソ……未然形」は逆接条件法
【注】12 座せ=尊敬語「座す」の巳然形。天皇が自身の行動について敬語を用いる、いわゆる自称敬語
【注】13 我(われ)こそば告らめ=この私が先に告げようと思うが、いかがか