東西二つの落日は、時空を超えてともに美しくそして何かかなしい。

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飛騨出身で「田中大秀」という国学者がおられる。我が国初の『竹取物語』の注釈者である。竹取物語に関しては、私には現代語訳を読む楽しみがある。

かぐや姫が、時の権力者帝(みかど)のお召しに応じない件(くだり)は、現代風にいえば〈「権力発動」の場面の言動を、どう現代語訳にするか〉という訳者の「権力観」が如実に現れる箇所である。

訳者本人がそうとは意識していないはずだけに、余計に興味が湧く、ズバリ面白いのである。

お嫌いでなければ、色々な訳者の訳文に目を通されることをお勧めする。訳者の権力観を丸裸にする意地悪な楽しみでもある。

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香を聞く香道の文化があるにしろ、日本の香りの文化は、控え目で文化の幅が狭いのは否めない。

仏教における香を焚く作法と日本の金満層が香の名や茶の名を当てて楽しんだ「闘香」「闘茶」という日本型ゲームの接点上に生まれたのが香道である。

「香を聞く」といっても、「闘香」という「当てっこゲーム要素」を引き摺ったままなのである。香道を嗜む方々も、余り上品ぶらない方が賢明かもしれない。