第二章 文学する&哲学するのは楽しい

人間くさい文化という営みは深く多彩で面白い

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ものは「作品」となった以上、本来片側通行はありえない。映画は映画館で一斉鑑賞するという一方的形式から脱しなければならないはずである。

「夫々めいめいで熟味できる作品」にならない限り、芸術一般作品のように、永続性は持ちにくいのではないか、そう思えてならない。単なる娯楽手段にならないためにも。

「助けてください、お兄様」、太宰治の人生メッセージは極限すれば、この一言に尽きる。

深さと甘っちょろさが同居する稀有な存在は、世のお兄様たちに、人としての深い悲鳴を訴え続けた天才もの書きであった。

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太宰という不世出の「人たらし」「女たらし」は、あたりかまわず弱音を吐き続け、それも面倒だとばかりに自らプツンと糸を切った。

青春時、彼にとりつかれる者も多い。救いを求める者も、彼を精神の自慰行為に使う者もいる。彼は、死んでも「人たらし」を続けている……。

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若くしてすべてが見えてしまった天才詩人アルチュール・ランボーは、詩人をやめ砂漠の隊商に加わった。

砂漠の落日に、西に向かって真赤に頬を染めながら一人佇む天才と、彼の胸に広がる空漠たる精神の砂漠を思うと、未だに、私のこころは張り裂けそうになる。

さて、大阪の上町 (うえまち)台地の西端にある四天王寺の崖(かつては崖であった)に座し、はるか西の果てに沈む太陽に、同じように頬を染めながらひたすら合掌する僧たちは、何を考え何を祈ったのだろうか。