又【死】というもの、もう少しで会えなくなるという事、【死】に向かっているという事が、分かっていなかったであろう。

彼も入院する頃は、身体を動かす事は難しかったが、まだ目が見えていた事もあり、子供達、孫達の気配を感じて、きっと嬉しかったに違いない。

今思うと言葉が話せなかったのが、残念だったと思っている。この頃には、家の車で病院に連れて行くのが大変なので、介護タクシーを頼み、病院に連れて行った。

彼が病気になり、まだ元気な頃に「もう最後はホスピスでも、遠い病院でも良いから入れてくれ」と言っていたのを思い出した。「家ではなく病院で良いのだろうかと」そう常に思いながら、病院での生活が始まった。

病室は四人部屋の窓側だった。病院には色々な方が入院している。ご飯の時間になると、音楽を鳴らしながらスタッフの方が、美味しい匂いと共に、食事を運んで来てくれる。

同時にご飯を食べられる方達の、ガチャガチャと箸でご飯を食べる音と共に美味しい匂いが立ち込める。でも彼は誤嚥性肺炎をおこすと大変という事で、いろうでご飯が食べられないのが可哀そうであった。

入院したての頃、両手もまだ動かす事ができ、片手でどうも点滴を抜いてしまい、途中から手袋をはめる事になった。もうこの頃は点滴を外してしまう事、それがどういう事なのかが、分かっていなかったのだ。

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