あなたがいたから

再再発

三月に入った頃には今まで少しはできていた事が、一つずつできなくなったのだ。大学病院のトイレも、なかなか出て来ないと「どうしたのだろう」と心配になった。男性トイレに入って行く事もできないし、出てくるとほっとしたものだ。

この頃は歩行も、やっとという感じであった。又トイレの位置が分らなくなり、台所の流しに尿をしてしまったり、お風呂場、洗面所でしてしまったり、大変であった。

病気が進み分からなくなっていると分かっていても、台所で尿をされた時は、さすが怒鳴ってしまった。「ここはトイレではないから」と。本人は何で怒られているのかも、もうこの時は分からなかったのだ。

私自身も怒った後、彼が「分からない、何もかもが分からない」と、大粒の涙をポロポロと流しながら言った時、慰めてあげれば良かったのにと、今ではとても後悔している。

今まで私の前で、涙一つ見せた事もない彼が、初めて見せた大粒の涙であった。抱きしめてあげれば良かったのにと、とても反省している。

その様な折、朝方すごい音がして飛び起きた。慌てて見に行くと、彼が階段から滑り落ち、階段の下にうずくまっていたのだ。「どうしたの?」と聞くと何も答えない。もうこの時の彼は自分がどうなっているのか、訳が分からなくなっていたのだ。どうして滑り落ちたのかも。

手もかなり握力が弱っているのか、さっとつかまる事もできなくなっていたのだ。しかも「一階に行く時は伝えて」と言っていたのに、伝えるという事も、分からなくなっていた。

動けない彼をやっとの思いで整形外科に連れて行き、レントゲンを撮ったところ、骨折はしていなかった。「良かった」と思ったのだが、それからというもの、布団から起き上がれなくなった。「痛い」と言っては、動く事さえできなくなった。

あまり痛がるので、もう一度整形外科に行き、レントゲンを再度撮ってもらった。しかし結果は同じで、骨折はやはりしていなく、打撲だけであった。「良かった」と思ったのだが、痛さの為か前にも増して、動く事ができなくなった。

トイレに連れて行こうとして、起こそうとしても自分では起き上がれない。やっとの思いで起こし、連れて行ってもまっすぐ立てない。この頃は、トイレに連れて行くのも大変になっていた。