たとえば晴子がそうだった。彼女ははっきりした金額は言わなかったが、自分の稼ぎで弟を高等専門学校へ行かせていることを、とても誇りにしていた。熊滝(くまたき)さんの三姉妹は、彼女たちの仕送りで、実家は田畑を買ったと言っていた。
もしミホが収入の低さに不満を持っていたとしたら、それは会社のせいではなく、本人の能力によるものである。
休憩時間もろくになく夜遅くまで働かされたとか、ノルマが達成できないと賃金を減らされたというのは、あきらかに嘘である。
わたしが入った頃から、仕事は減りはじめていた。夜遅くまでとか、ノルマなどというほどの仕事量はなかった。いや、以前はそのようなこともあったのかもしれない。そういえば、ミホはいつから工場で働きはじめたのだろう。
でも、昔のことを昨日のことのように持ち出すのはどうかと思う。あの記事を読んだ人はまちがいなく、事故の直前まで、女工たちは夜遅くまでコキ使われていたと思うだろう。
管理職の社員が厳しかったというのはほんとうだが、仕事なのだから、それはあたりまえのことである。そしてわたしが知る限り、暴力などなかった。
少々熱が出ても無理をして働く同僚はいたが、それもあたりまえのことだとわたしは思う。でも、寮母の四葉さんはいろいろ気を配っていて、あまりに具合が悪そうな同僚は、休ませていた。
【前回の記事を読む】ある共同農場の農民たちは地主に気がねすることもなく、豊かに暮らしているという記事はほんとうだろうか?
次回更新は7月20日、11時の予定です。