プロローグ

 

生まれた家庭がその時に裕福でも幸せになれるとは限らない。

東京に生まれ育つことがすべての幸せには、つながらない。

発達障がい児を育てる中で見失った自分自身と自己否定。

両親を見送る経験をしたことで、自分の死が近づいてきていることを思い知り

本当に心から幸せになると決めて人生を追求し始めた40歳過ぎからの日々。

誰からも愛されていないと勘違いをしていた半生。

自分が自分を幸せにするために歩み始めると決めて、母子で福島県浜通り地域へ移住。

実は苦しい経験をした人ほど、なりたい自分になれるのです。

なりたい自分になるためには少しの学びと努力も必要です。

何より必要な自己肯定感。これが低いと叶うはずの自己実現も叶わない。

未来は自分で創るもの。自分を幸せにできるのも自分しかいない。どんな時も、この本があなたの日々を生きる活力としてのパートナーになれると信じています。

第一章 昭和時代、平成時代の思い出

日本が高度経済成長をとげた昭和40年代後半。外壁は海外のようなデザインの白亜の佇まいが特徴的な人気のマンション。国鉄恵比寿駅と営団地下鉄恵比寿駅の両方が最寄り駅で、もしそのマンションに住めれば勤務地の東京駅に出やすい。

アクセスも魅力的なマンションの一室に暮らし始めた一組の夫婦。それが私の両親です。快適な暮らし。幸せな夫婦生活。しかし、なかなか子宝に恵まれずに子育てを諦めかけていました。

ある日、母は今までに経験をしたことのない腹痛に襲われます。救急車は目黒区内の大きな病院へ向かいました。

ドクターが診察をすると、「あぁ胆石があるようですね。これは取ったほうがいい。手術の日程入れましょう」と告げられ、

「確かにこの数日、胃腸がとても痛くて。市販薬の痛み止めを飲むと少し楽になっていたのはそれが原因だったのね」と数日の不調に納得。