一、友人の葬儀での弔辞

般読経のあと般若心経を達磨寺の導師が解説してくれた。導師が「皆さんにわかりやすい新現代訳の般若心経の解説をします」と印刷された般若心経の原文と現代訳をくださった。

その現代訳とは、わかりやすい言葉で書かれていた。

「御釈迦様の仏教の聖典六百巻を二百六十二文字の漢字の経典に纏めたのが西遊記で御馴染の玄奘三藏です。原本のサンスクリット語を漢字に訳したのです。

その経典とは、御釈迦様が弟子の舍利子に説いたお言葉です。観音様が悩みや苦悩を克服した時、体や気持ちが空であることがわかり、その教えは、物事を知ったり、意識したり、考えたりすることも空である。

身体と気持ちは一体である。生と死も一緒。生きている限り死があります。老いることは時間が経過すること。赤ん坊も一日経つと歳を取る。

小乗仏教の十二縁起とは、悩み、生活、好き嫌い、体と心、六つの感受機能、六つの感覚、感受作用、妄執、執着、存在、生まれること。老死のこと。それら教理は煩雑で難しいので空と説いています。

つまり存在していないので悩まないでいいのです。菩提薩他(ぼだいさった)というのは、修行僧は損する智慧。問題を解決しない智慧。世の中をよくしようとしない智慧を学んだから何も怖がることがありません。

こだわりがないのでびくつくこともない。般若心経の心無罣礙 (しんむけいげ)とは、心に障(さわ)りがないということを言います。だからおびえる必要がない。ありのままの自分を認めること。

事物をさかさまにとらえることなく、妄想に悩まされることなく、心は安定してやすらかであること。欲を求めない智慧。損得なしで生きる智慧。普段の生活が修行であること。その修行は終わりがない。

般若心経の智慧をこれからの皆さんの人生の智慧としてください。これが、般若心経の空です」

般若心経の解説は多々あるが、わかりやすい言葉での表現だったので、般若心経が身近に感じた。

達磨寺の僧侶である導師が般若心経の説明と解釈をしたあとに参列した人達に語った。

「この現代訳を読まれた方の感性が違うように捉え方が異なるかもしれないが、皆さんの人生の空しさや苦しさ、そして、心澄む過ごし方、人生の終焉を般若心経の中から読み取ってほしい。それと、開祖達磨大師は、七度転んで八度は起きる。それには、気は長く、心は丸く、腹を立てず、人は大きく、己は小さく、とすることが肝心であると説いている」と功徳を述べられた。私は、西の葬儀に相応しいお言葉だと思った。

最初の弔辞は、組合の代表が故人の労働闘争とその功績を称え、弔う言葉であった。