「故人は、東京都水道局労働組合での当局との団体交渉では、先頭に立って、組合員の労働者としての権利と都民の命を繋ぐ水資源を守るため、力を尽くしてきました。

不当な当局の懲戒処分に屈しない強い意思は、残された組合幹部にとっては、礎といえます。偏にこの礎は、組合活動には不可欠です。故人の素晴らしい精神を私どもは、守っていきたい。

この礎こそが、当局の不当な要求を撥ね付ける原動力となります。当局は水道事業を民営化の名のもとに、都民の大切な命を守る水資源を軽視した政策を取ろうとしています。私達は、故人の遺志を尊重して水道事業の民営化を……」と弔辞を述べた。

自分の気持ちをありのままに話そう。故人に語り掛けるように。

会場の葬儀進行役からアナウンスされ待機していた席を立ち、ゆっくりと前に進み祭壇のあるマイクの前に立った。「故人とは、小学校・中学校・高校・東京都と一緒だった松さん、弔辞をお願いします」と。

葬儀の参列者の席を見渡し、百八十席ある参列した人達に向かってお辞儀した。故人の写真(遺影)を見た時、見返りを求めることがない友情が駆け巡り、涙が溢れ出た。涙を抑えきれぬまま、故人に語り掛けるように弔辞を述べた。

「西、覚えているか、お前と俺は、勉強ができる方ではなかった。共に都立高校の受験に失敗したが西は諦めなかったネ。何度も私の家に訪ねてきた。しつこかった。本当にしつこかった。

私は、興味がない。絶対に受験しないと言い続けたのに、それでも、諦めないで都立保谷工業高校の補欠受験を誘いにきた。かなり酷いことを言ったが諦めなかった。一度も友人だと思ったことはないと酷いことを言ったのに……。

最後は、父親の年齢と学費のことを西に指摘され反論できなかった。私を説得するのに考えてくれたことだった」 

二、高校受験失敗から補欠募集への回想

私は、都立昭島高校の普通科を受験したが学力不足で不合格となっていた。別の日に受験した私立昭和学園に合格していたので、この学校に進学することをほぼ決めていた。

ある日突然、西が自宅に訪ねてきた。

「マツはいるか! 俺だよ! 西だよ! いるなら返事してくれ!」と大声で玄関の引き戸前で叫んでいた。

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