学校は「キュア・オブ・アートスクール」といった。小学校だった。そして、住居は、その学校から四十分ほどのアパートを借りた。毎朝、校長先生が迎えに来てくれて、学校に行った。車で学校へ向かう途中、あの大リーグ球団シンシナティレッズの球場リバーフロントスタジアムを見た。

「これは、シンシナティレッズの球場ですか?」

と聞くと、

「そうだよ。」

と言った。

この小学校には、約二週間滞在した。そこでもまた子どもたちに日本のことを紹介した。街の郊外にあって、三階建てのレンガ造りのきれいな学校だった。アメリカの小中学校の校舎は、レンガ造りの建物が多い。レンガ造りは、なんとなく趣があって、歴史を感じる。

ここでは、子どもたちとよく絵を描いた。クレヨンがなくなると、週末に校長先生と車で大きな文具店に行った。そこでクレヨンやノートを買った。ノートは、英語の勉強用に四~五冊ほど買って、なかなか使いやすいサイズと厚みで、今でも重宝している。

ある日、体育館に、巨大な「鶴」を作った。ティーチャーズルームにある、大きな厚い紙をもらって、体育館で貼り合わせて、「鶴」を折った。それを見ていた子どもたちや先生たちは、

「何ができるんだろう。」

と口々に話していた。当然質問しにやって来る子や先生がいて、

「ジャイアント・クレインを作っているんだよ。」

と答えても、ポカーンとした様子だった。しかし、その形がだんだんと出来上がってくると、一人、また一人と、

「ワ~オ。」と言う声が聞こえてきた。

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次回更新は6月20日(木)、11時の予定です。

 

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