「単純に嬉しかったです。でも一方では、やっぱり有観客でこの試合を見せたかった、見てほしかったという目線のほうが強かったので、目線は若干違ったかもしれないですね。たとえ無観客でも選手のことを考えれば開催されて本当によかったと思うけれど、それでも何とか有観客にする方法はなかったのかな、とか。
フェンシングという競技を普及させるために、一番のインパクトになるのは金メダルを獲ること。それは間違いではないけれど、でも僕はどちらかと言えばこのメダルを一生自慢して生き続けることができない、と思うタイプの人間だから、ちょっと違うのかもしれない。もしもあの場に満員の観客がいたら、というのはやっぱり拭えなかったですね」
現在も国際フェンシング協会理事という立場でもあり、フェンシング界と全く関係がないわけではないが、日本ハンドボールリーグの理事に就任するなど活躍の場は広がるばかり。
もともと「任せた以上は口を出さない、というのが自分の信念」と言うように、自らが退いた日本フェンシング協会と積極的に関わるかと言えばそうではない。むしろ、太田自身もこれからの体制に期待を寄せる1人でもある。
「よく考えると一度も五輪を経験しなかった珍しい会長ですけど、でもそれでいいんですよ。むしろ史上初めてフェンシングが金メダルを獲得した時に武井会長だったことが本当によかったと思うし、もっとポジティブな方向に進んで行くはずです。
東京五輪が終わってもすぐ北京五輪があり、サッカーワールドカップがあって、あっという間にパリ五輪が来る。そういう現実の中で常に主役は入れ替わります。選手はあくまで演者なので、短く尊い現役時代を最大限に活用してほしいですね」
自国開催の五輪を機に、プラスばかりでなくマイナスな面も取り沙汰され、決して「夢の舞台」ばかりではない現実がいくつも露呈した。
あれほど招致に力を尽くし、手繰り寄せた五輪をそれでも何とか開催に至るも、直前で未曾有のウイルスが猛威をふるい、誰もが望まなかった無観客での開催も余儀なくされた。
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