こうして日系カナダ人が多く住むリッチモンド市で、彼らの世界にどっぷりと浸かったお陰で、移民当時から戦中戦後にかけての日系カナダ人の、長くて、辛く、苦しく、悲しい歴史を知ることになった。

カナダが一国家として成り立つまでには、長い苦難の歴史があった。カナダは、ロシアに次いで二番目に広い九九八・五万平方キロメートル、日本の二十七倍という広大な面積をもつ国だ。領域には、北極海諸島をはじめ多くの島が含まれる。

北極圏に入る北部のツンドラ地帯にはほとんど人は住んでおらず、住民の大部分は南部に集中している。あまり知られていないが、カナダは意外と若い国だということである。

カナダの完全な独立は一九八二(昭和五十七)年。イギリス連邦の一員でありながら、独自の憲法を制定したことにより、名実ともに独立国家となった。

イギリス女王を戴く立憲君主国になっているが、カナダ総督はカナダ人が就任し、イギリスとの関係は形式的なものになっている。ここでカナダ国成立までを遡(さかのぼ)ってみよう。

カナダの先住民であるカナダインディアンやイヌイット族は、ベーリング海が地続きであった四万年前の氷河期に、モンゴロイド(アジア系の黄色人種)がシベリアから北米大陸に移動してきた人々であった。

アイヌ人、エスキモー人、カナダインディアン、イヌイット族などの顔つきが何となく似通っているのは、きっと遠い祖先に同じルーツをもつからかもしれない。

ツンドラ地帯や森林地帯で狩猟をしながら、隔絶した世界でそれぞれの小さな部族ごとに、隠れ棲むように黙々と生き延びてきた稀少な人々であった。このモンゴロイド族は、南米へも流れて行き、アンデス文明を築いた。

一四九七年、イギリスのヘンリ七世の派遣でイタリアの探検家カボット・ジョバンニが、北西航路を経てインドを目指して出航した。彼は、カナダの東海岸であるノヴァスコシアに到達し、ヨーロッパ人として初めて北米大陸に上陸した。

スペイン女王イサベル一世の援助でイタリア生まれの探検家コロンブス(クリストバル・コロン)が、インドを目指して出航し、中・南米の島々を発見してから、五年後のことである。

まだ当時はヨーロッパの人々が誰も来ていなかった北米の島々の近辺は、良い漁場でタラがたくさん獲れた。この発見により、この海域にヨーロッパの各国から漁師が殺到して来た。

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