第四章 日系カナダ移民第一号
裏方の仕事だったが、イギリス船で聞いていた英語とは少し違うカナダの英語にだんだん慣れていった。
「このまま皿洗いばかりしても、ちっとも儲からん。一緒に鮭漁に出ないか」
ある日万蔵は、一緒に皿洗いをしていたイタリア人の移民マルコに誘われて、小さな船に乗りフレーザー川で鮭漁を始めた。幼い頃から父親の手伝いで漁をしていた万蔵は、漁場を探すのがうまかった。鮭漁をする人が少なかったので面白いように鮭が釣れた。
鮭漁がない時期には、港の人夫として木材を運ぶ仕事をした。カナダ人に比べれば体の小さな万蔵だったが、力は人一倍強かった。重たい木材を「よいしょっ」と運ぶ姿に、カナダ人たちは驚いた。
毎日が刺激的で無我夢中で働くうちに、あっという間に十年が過ぎていた。
万蔵が二十九歳の時、カナダ大陸横断の鉄道工事のために、中国からの労働者を集めに行く仕事があり、船に乗り中国へ向かった。万蔵が乗り込んだ船は、中国で労働者たちを乗せると帰りの石炭を積み込むために故郷の口之津港に寄港した。
十一年ぶりにカナダから帰ってきた万蔵に、
「よう無事に帰って来たのう、すっかり大人の顔になったばい」
と両親は肩を叩いて喜んだ。万蔵は年老いた両親や弟妹のために大きな家を建てようと、昔から知り合いの大工に頼み手はずを整えた。後に万蔵が建てた家は割烹旅館になって大いに繁盛した。