もともと村長立候補者は私、権田原正二だけであろうという大方の予想だった。ところが、ここにきてもう一人、村議会議長の渋谷竜一が立候補するかもしれないという情報が飛び込んできた。

もちろん、誰でも立候補できるのは当然のことである。ただ、渋谷氏は村民としては気がかりな人物だった。まず、この村議会議長・渋谷竜一氏の評判がすこぶる悪い。渋谷氏は、もともと威張り散らすタイプで村民に全く人気がない。

それにもう一つ妙な噂がある。都内の大手リゾート開発会社との深い関係を心配されていた。その会社は、近い将来、日野多摩村の一部を大規模リゾート地として開発する計画を進めているらしい。

村の活性化にはいい話のようにも聞こえる。だが、大規模な開発のため村の様子が一変するおそれがあるという。利権も絡みイヤな匂いがする話なのだ。東京都もこの計画は了解しているらしく、最後は村長の決断次第であるという。

日野多摩村らしくない都会の風が吹き始めようとしていた。この計画に、村民の意見は大きく二分されている。賛成派、反対派がほぼ同数。村長が誰であれ村の人たちの本心はどうなのだろうか。開発か現状維持か。悩ましい問題である。

青山助役や葛西会長としばらく談笑した後、一人で村を散策した。あれこれと考えておきたいこともあった。リゾート開発の件、もし兄だったらどうしただろう。とにかく村の人たちの「本音」を知りたい。

私は、役場近くの食堂や喫茶店に入った。なじみの人にそれとなくこの話を向けてみた。どうやらこの話について村の人はほとんど乗り気ではないらしい。おまけに裏でカネが動いているという情報まである。

影武者のとき知り合いになった方に何人か電話で聞いても、この開発には皆いい反応をしていない。村の人たちはこのまま静かな日野多摩村の暮らしを望んでいる。これが私の感じ取った村の人たちの多数意見だ。

そうかといって、今は何もできない。今私は普通の人なのだ。村長選挙の結果を待つしかない。選挙で村の人たちの民意を示してもらう。それしかないのだ。私が選挙で勝って村長にならなければ、何も発言はできない。

その数日後、私が選挙前の準備で葛西会長と役場前を歩いていたときのこと。赤や黄色という派手な色に塗装をしてゆっくり走るマイクロバスに遭遇した。

その車体部分には「ひのたまを東京のリゾート地に」と大きく書かれていた。そのバスはスピーカーから「渋谷竜一が実現します」と大音量で連呼していたのである。

目が覚めるようなオレンジ色のジャンパーを着た渋谷議長がまるで選挙の遊説が始まったかのように派手な衣装のウグイス嬢たちと一緒になってバスの後ろを歩きながら通りがかった村の人たちに声をかけて歩いていた。

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