母が生まれた頃は、男の子を産むために妾(チャグンオモニ)を同じ家に囲うという風習が残っている時代です。祖母(母の母)は女子しか産むことができませんでした。

その後、妾(チャグンオモニ)は男子三人をもうけましたが、長男は大学を卒業したものの、二十歳頃に精神を患い廃人同然になり、結局何の仕事を持つこともできずに五十歳くらいで他界しました。

後日、母は精神を患った腹違いの弟を日本に連れてきて日本の病院まで受診させましたが、残念ながら治癒まで至らず、また韓国に帰りました。期待の弟がこのような病になってとっても残念だったと思います。

私達が母の実家に滞在していた間、近くの親戚が集まり少しずつお土産を渡していました。またそのチヤグンオモニもまだ生きており、私達にご飯の準備をしてくれました。

母は私が中学生の頃に、この自分の家の複雑な事情を私に話してくれていました。自分を産んだ祖母が男の子を産めなかったため妾を囲わなくてはならなくなった時、彼女はキリスト教の信仰に入って祈っていたということです。

昔の母の家は裕福だと聞いていたのに、おばあちゃんの話を聞いて、なんと悲しい話かとつらく思いました。

一人の女性が悲しい運命を生きたのに、生まれた男の子も残念ながら普通に生きることができなかったのは、祖母の悲しみが巡り巡ったのではないかと私は感じました。

私は母の家の様子から、平家物語の冒頭の文章を思い出しました。

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらはす

おごれる人も久しからず

ただ春の夜の夢のごとし

猛き者も遂にはほろびぬ

ひとへに風の前の塵におなじ

母と毛鉤(けばり)で魚釣り

母の実家には三泊くらいして、一日ゆっくりした日がありました。その日、母は私を釣りに誘いました。

母は日本にいる時、近くの釣り道具屋さんに行き毛鉤(けばり)を数個買ったようです。私は初めて毛鉤というのを見ました。それをいつ使うのかしら? 使い方がわかるのかしらと思っていたのです。そんなものがあることを、今まで知りませんでした。

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