現地大使館の外交のプロも尋問されたら『私共も全く関与しておりません。あれは日本から来た二人のペテン師が米国側のペテン師二人と勝手に仕組んだことに大使一人が乗せられて手伝ったのでしょう』と言い逃れをすれば我輩のご主人一人に全ての罪を着せることができ、大使館の汚点にもならず、館員個人の人事上の罰点を喰うことも免れる。」
……と、こう読めば読めないことはない。ここまでくると、外交のプロの技は超芸術的というか殆ど神技に近い。
そして現地大使館側もゴミ箱行きになった後は、誰も本件に触れなくなり、二人の日本人ペテン師もいつの間にか忽然と米国から姿を消してしまった。
ペテン師の最後は常に哀れを誘う。後日聞いたところによると、スウィングラー氏はこの後、南米で客死。ジャグラー氏は戦後、中国で布教活動中にスパイ容疑で逮捕され、その後杳として行方知れず。
片や日本人ペテン師の内、川中氏は表舞台から消えたが、原氏は敗戦末期に今度はビルマ(現ミャンマー)に出没しインド独立運動を策動したとのこと。
相変わらず陰でコソコソ動くのが大好きな御仁だが、最後までペテン師稼業に邁進された熱意と情熱には敬意を表したい。
冷静に考えれば「絶対に譲れないはずの条項をひょっとすると相手が譲ってくれるかも知れない」と、日本側に前向きに考えさせる空気が一時的だったにせよ支配したのは不思議なことだった。こういうところがペテン師の力量がなせる神技だったのかも知れない。