カメオ工房の見学後は、数少ないお土産を探す時間だ。お土産を購入する時間は自由行動では限られてしまうため、ここで一度まとまった時間を取ってくださったのだ。私はそこで、日本とは全く異なる商品の数々に見惚れてしまった。
今でこそ輸入雑貨の店は数多く存在し、有名なものはあらかた日本でも手に入るようになった(私自身も、その後日本でも入手できるものとは知らずに「現地の」お土産を購入したことも何度かあった)。
だが田舎で暮らしていた影響もあり、当時の私には見るもの全てが新しかった。現地の化粧品、有名な童話がモチーフのキーホルダー、がま口財布など、あれもこれもと思ったらいくら現金があっても足りないだろう。だが後々のことも考え買うものは慎重に考えなければいけない。
そう思ったことには、他にも理由がある。
二〇〇八年三月と言えば、ユーロが導入されて以降最高のユーロ高を記録した年だった。一ユーロ約一七五円前後で取り引きされており、両替する場所を吟味しなければもっとレートは悪かった。
日本円に換算して五万円ほど両親からお小遣いをもらったが、円安なのであまり無計画でものを購入するのも良くはない。私はここではアリタリア航空の客室乗務員愛用と言われるハンドクリームと、何かの小物を購入した (正直に言うと、当時何を買ったかは今ではほとんど何も覚えていないのだ)。
はるかに短時間だが恐らく他の場所でもお土産を購入する機会はあるだろうし、もっと現地を思わせる品物に出会えるだろうと判断してのことだった。ともあれ、現地の素敵なものを見られた。当時の私はこれでほくほく顔で満足していた。
こうしてあっという間に時間は過ぎ、ローマに戻る時間がやって来た。バスは少々夕方の渋滞に巻き込まれながら、目的地のディナー会場に到着した。
ここでは旅程に記載されていなかったサプライズが待っていた。私にとっては人生初のディナーショーである。と言っても、ホテルの大広間で行われるような大仰なものではなく、知る人ぞ知るシークレットライブのような感覚に近かったと振り返っている。
会場前方には五十代くらいの女性がおり、ピアノで弾き語りしながら有名なイタリアの曲を次々と披露していく。当時の私の勝手なイメージだが、イタリアはオペラで名を馳せており、総じてイタリア人も歌が好きで歌が上手い人も日本人の比ではないのだろうと考えていた。
この方も例外ではなく、恐らくどこかのプロなのだろう。こぢんまりした会場でも彼女の声は美しく、力強く響き渡り、お世辞抜きで拍手を送った人も少なからずいた。
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次回更新は7月1日、11時の予定です。