三 波乱のカプリ島・ナポリ、初体験のローマ
朝七時過ぎ、ようやく辺りが明るくなり始めた頃、私たちを乗せたバスは高速道路に入る直前だった。そこで私は、ようやく自分がヨーロッパにきていることを実感できた。
ローマの郊外ということもあり建物は鉄筋コンクリート製のものも所々見かけられた中、イタリア語で書かれた看板、バールや薬局などの看板が見えた。それらは一階部分にあり、その上はアパートメントないし個人のタウンハウスのようになっている。私は以前架空のヨーロッパの地を舞台にした某漫画家氏の漫画とアニメを見たことがあったが、そこはまさにイメージ通りだった。
ああ、本当に私イタリアに来たんだ。
静かなバスの中で、私は感無量になった。
そうしてバスは目的地、ナポリ市内に入った。元々読んでいたガイドブックで「ナポリを見て死ね」という文言があることを知っていが、この時はこれで死ねるのかと思ったのが正直な感想だった。
街並み自体は確かに美しい。ローマと比較すると建物はカラフルでより近代的で愛らしいものも多い。だが少し道路を見るとそこらじゅうゴミだらけで、街のゴミ箱からゴミが溢れかえっている…というのが当時の現実だった。
更に驚いたのは、時折シスターのような、いや、それよりもずっと粗末な出立ちの年老いた女性を見かけたことだ。片手にはザルのようなものを持っている。そう、彼女たちは物乞いだったのだ。そのような姿は他の都市でも後々見ることになるのだが、イタリアの経済状況がこれほどまでに苦しいことはこの時身をもって知った。
スリの常習犯だけでなく、本当の物乞いもいるのが何よりの証拠だ。第二次世界大戦で敗戦した国はその後の不況にも苦しむが、イタリアは慢性的に失業率も高い上、それ故ナポリ以外の都市でも日常的にスリが起こるのだと、点と点がつながった感覚を覚えた。
日本でも当時、子供の貧困がクローズアップされ始めた最中だったが、それでも日本は様々なものを犠牲にしながら「経済大国」の名を勝ち取った。日本のそれは結局今や見る影もなくなり、何より私自身好景気の日本を全く知らないで育った。