序章 せっちゃん(私)について
誕生から高校まで
私が小学校1年生の時に、京王井の頭線沿いの東京都世田谷区に引っ越しました。私達家族の住んだ、父の勤め先の会計検査院の官舎では、父が庭にイチジク、梨、ブドウを育て、生きている鶏の首を絞めて食料にしてくれていました。
ガスでお風呂が沸き、電話もついて、洗濯機もあり、井戸までありました。夏になると、スイカの好きな母はよくその井戸やお風呂にスイカを浮かべて冷やしていたものです。私生活に及ぼす影響のことを考えてか、テレビは周囲よりわざと少し遅れて設置していました。
父はお酒が飲めず、趣味は麻雀とテニス、子煩悩でよく母を手伝っていました。おしゃれをしたい私に、「恥ずかしい格好はさせないから、勉強に集中しなさい」「医者や弁護士になったらいい」と言っていました。
自分の子ども達は当然優秀で、子ども達を正しく指導するのが、父親である自分の役目と思っていたようです。テニスをしにわざわざ出かけなくてもと言いながら、「これも運動」と言って、家の廊下の雑巾がけをしていた姿が目に浮かびます。
先述したとおり両親は優秀だったので、育てられた子ども達は、親の期待を大きく感じながら育ちました。
中学で良い成績をとれていた私は、当時、東大入学数で1、2を争う都立戸山高校に進学しましたが、男子対女子の比率が4対1ということもあって、学業では苦労し、バスケットボールの部活動で救われた思い出があります。ちなみに、バスケットボール部には中学、高校、短大と計8年間所属しました。
後に述べますが、私の二人の息子はアメリカで学校生活を送りました。そんな二人の姿を見ていると、自分の学生時代との大きな違いを実感し、私もそんな青春時代を過ごしたかったとの思いが拭いきれません。
あの頃は『大草原の小さな家』『弁護士プレストン』というアメリカのテレビ番組を、憧れの気持ちで観ていました。『兼高かおる世界の旅』も家族でよく観ていました。