因みに、翌日からは、支給された作業用ブーツを履き、蚊よけスプレーを体に吹きかけてバナナ畑の仕事に向かった。

早朝、バナナ畑で仕事をした後は、一旦キブツに戻り、ダイニングルームで朝食をとる。朝食は、大きなビュッフェ式テーブルに並べられた野菜、果物、卵、チーズ、パンを自分で好きなだけ取る。

因みに、ユダヤ人は、豚肉や甲殻類を食さないので、ポークソーセージやポークハム等は出ない。朝食の後は、再び、バナナ畑で昼まで仕事。

午後は、ボランティアワーカーの為に開かれている、ウルパンというヘブライ語の語学教室に通った。しかし、当時、殆どの人が英語を理解していたので、私はヘブライ語学習にあまり真剣ではなく、今となってはヘブライ語を殆ど話せなくなってしまったことには後悔している。

ニル・エリヤフには、十数人のボランティアワーカーがいた。その殆どが、世界各地に住んでいるユダヤ人の若者達であったのだが、驚いたことに(ヒトラーのナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺の歴史があった為)ユダヤ系ではないドイツ人のボランティアワーカーも数人いた。

私のルームメイトだったアンナ(仮名)も生粋のドイツ人だった。アンナは、フント(ドイツ語で犬)という名前の黒い犬を連れてドイツから陸路でイスラエルにやって来たそうだ。

ユダヤ教では金曜日の日没から土曜日の日没までがシャバットと呼ばれる安息日でキブツの仕事はお休みである。休日にはすることがないので、私はよくアンナと一緒にフントの散歩に同行した。

そこで気が付いたのは、私達が散歩をしているキブツの敷地内は、オリーブの木やナツメヤシの木、オレンジ畑等があり青々としている。しかし遥か彼方に見えるアラブ人の集落は、荒涼とした土の砂漠の中にあり、辺り一面砂色である。

この差は、キブツの灌漑技術の良さから生じたものである。

1970年代のキブツニル・エリヤフ(絵葉書)

 

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