一、友人の葬儀での弔辞
平成十八年三月八日、多摩都市モノレール泉体育館駅から徒歩で八分の祭場にて、友人の西浩二君の告別式が執り行われた。駅から祭場までの間、故人を回想しながら、向かったので想い出は尽きない。
彼との関係は、小学校三年生の時に故人が転校した時の出会いから始まる。故人は、背は低く口うるさい子供であった。親しくなかったため、私から声を掛けることはほとんどなかった。
中学校三年の時、都立高校受験では共に失敗している。故人の誘いで同じ高校に進学して、同じ学びを過ごした。就職も故人と同じ公務員として勤めた東京都庁。
今まで歩んできた豊かな人生は、故人のお陰と感謝している。高校の選択と東京都職員への任用は、すべて故人が遺してくれた人生の道標である。
葬儀は、故人が東京都水道局の労働組合の幹部を長く続けていたことと、環境問題の活動家としての経歴で、弔問者が四百名を超える盛大なものであった。
都水労と全水労の花輪が飾られていた。政治的思想で対立していた労働組合の花輪があったが、思想の垣根を超えて弔慰を受けていた。
葬儀の受付は、水道局関係者、親族、友人、遺児の学校関係者、環境団体関係者に分けて記帳する場所があった。
私は、友人として芳名録に記帳してから、メモリアルコーナーに進み拝見すると、故人の水道局労働組合での活動の歴史と、立川病院の傍にあるカレー店CHOTAで、闘病中に組合関係者と懇談している写真が貼られていた。そして、松井やより賞の記事も掲示されていた。
カレー店CHOTAは、中学の同級生が経営している店である。
平日の月曜日から木曜日、営業時間は、十一時半から十三時半までと短時間営業のお店。野菜カレー、オムカレーが絶品である。
祭場では、コントラバスの生演奏が流れていた。
演奏された曲名はわからないが葬儀の静寂に合っていた。
生演奏は般若心経の読経が始まるまで演奏され、読経が終わったあとも暫く演奏された。