第一章「人生100年時代」の 到来

(1)「人生100年時代」を楽しむヒント

●古代ローマ時代からの学び

いかがだろうか。とても2000年前のコメントとは思われない。

キケローはこの中で「老年に対する4つの誤解」を否定したが、その一方で、その時代に生きる老年者に対してプライドを持った生き方を訴えているようにも思える。

「諦めてはいけない! まだまだこれからだ!」

時空を超えて、そんなキケローからの声援、叱咤激励が聞こえるような気がしてならない。

●仏教の教え

次に仏教の教え(生老病死=しょうろうびょうし)からの学び。

人間である以上、生まれ、成長し、成熟し、老衰し、死ぬことは避けられない。

仏教用語に「生老病死」という言葉がある。

「人間がこの世で避けられない四つの苦しみ。生まれること、老いること、病気になること、死ぬこと。四苦」(新村出『広辞苑 第七版 あそ』P1461 岩波書店 2018年)

である。「生苦」「老苦」「病苦」「死苦」としてあらわされる。

その中でも「老苦(老年期における苦しみ)」とはどういうことか。

いろいろな見解があると思うが、わかりやすく言えば「老いによる不安」を感じるということと考える。

特に定年後の男性が家庭の中で「粗大ゴミ」のように扱われている現実。さらにAIをはじめ目まぐるしく変わる社会構造の中で、老人はどうしても取り残されがち。

不安は尽きることがない。

その不安を解消するためには、「どう老いるか」という視点がますます重要になると考える。

「老いること」とは「熟すること」であり、生をまっとうするということでもある。そこに老人としての独自の意味があり、それが老人の「智慧(真理を明らかにし、悟りを開く働き:新村出『広辞苑 第七版 たん』P1858 岩波書店 2018年)」になると思う。

ただし、その智慧は年齢を重ねただけで生まれるものではない。

仏典の1つである『法句経(ほっくぎょう)』によれば「学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。彼の肉は増えるが、彼の智慧は増えない」とある。

老いるとは単なる現象ではない。極めて主体的なものであり、それまでの学びに対する姿勢の蓄積がものをいう世界である。

そこで重要になるのは、「どういう姿勢で老いと向き合うべきか」ということである。